北海道の片隅でコソっとつぶやく

いろんなところでひろったガラス瓶や陶器を紹介しています

戦前の北海道で除虫菊でつくられた安全な殺虫剤が生産されていた話 家庭用殺虫剤ハルクのガラス瓶

 

戦前、北海道で除虫菊の生産が行われ、安全な殺虫剤が生産されていたことはあまり知られていない。

蚊取り線香は除虫菊という植物から作られており安全な植物由来の殺虫剤である。
スプレー式殺虫剤も同様の成分で作られている。

明治29年に、石狩市花畔の農家が、金鳥の創業者から除虫菊の種子
を取り寄せ作付けを開始した。
道内の他の地域でも除虫菊栽培熱が高まり、1914~1918年にかけて
は北海道の除虫菊栽培農家は急激に増加。
大正14(1925)年には国内作付面積の69%を占めた。

新札幌市史には下記記載がある。

「昭和七年に道庁では生産者の利益増大を図るために、倶知安の北辰薬草、清真布

(栗沢町)の北海道除虫菊加工、和寒の共和除虫菊加工、石狩除虫菊加工の四社合併

を指導し、工業組合による北海道除虫菊製品工業組合が十月二十八日に創設される

にいたった。同組合の工場は琴似村に建設されることとなり、九年から製造を開

始、北海道除虫菊製品工業組合を設立して、製品は主に家庭用殺虫剤「ハルク」

ハルクは道内外と輸出で海外にも輸出していた。
昭和14(1939)年にホクレンに買収され、第二次大戦後は安い化学農薬が輸入

され衰退したらしい。
 

「家庭用殺虫剤 ハルク」の瓶。「ハルク」のエンボスがある。

戦前は輸出もしていたため、2枚目に「INSECTICIDE」(=殺虫剤)のエンボス

も入っている。

この瓶は気泡がたくさん入っており、厚さも均一ではなくゆがみもある。

昭和7年(1932年)から昭和15年(1940年)頃のものだと思われる。

 

ひろったときには殺虫剤ということでちょっと心配だったが、調べてみると除虫菊

の殺虫剤は50本くらい飲まない限り死んだりもしないそうなので安心した。

きれいに洗って何度かの処理を施した。今は部屋のかたすみに鎮座しラムネ色の光を透過してくれている。

 

100年前の幻のお酒「富久天狗」のお猪口 

 

このお猪口、恐らくお酒を買ったお客さんにお店がおまけとして配っていたもの。1896年(明治30年日本清酒の前身「札幌酒造合名会社」6酒造店が合併し生まれる。当時の主要銘柄は「富久天狗」あまり知られていないがこの当時、現在でも主要銘柄として知られる「千歳鶴」は別の蔵で醸造されていたもの。同じ札幌市内で片岡合名会社、片岡唯一郎が「千歳鶴」を2549石造っていたのである。1924年大正13年)に札幌酒造合名会社改め、株式会社とし札幌酒造株式会社に変更となる。1928年(昭和 3年)、政府からの要請により日本清酒を中心に8社を統合。現在の社名「日本清酒株式会社」となり、統一銘柄を「千歳鶴」にしたらしいので、昭和3年以前のものの可能性が高い。

「千歳鶴(ちとせつる)」で名を馳せる日本清酒株式会社は、北海道で現存する最古の酒蔵であり北海道最大都市札幌唯一の酒蔵。その歴史の一部。北海道の炭鉱地区でひろった。