北海道の片隅でコソっとつぶやく

いろんなところでひろったガラス瓶や陶器を紹介しています

月寒に大日本帝国陸軍があった頃 歩兵第25連隊の除隊記念盃

つきさっぷ郷土資料館(豊平区月寒東2条2丁目)周辺は歩兵第25連隊があった場所だ。
月寒東1条3丁目から月寒東1条8丁目くらいまで陸軍の施設が立ち並ぶ場所だった。
今でも一部、自衛隊施設がある。下の年表を見るとわかるが歩兵第25連隊は日露戦争満州事変、日清戦争と奔走し最後は北海道を守り切った歩兵連隊だった。

1896年(明治29年屯田兵を母体に第7師団創設され月寒へ
1904年(明治37年日露戦争に従軍
1905年(明治38年日露戦争終結
1917年(大正6年満州駐留
1919年(大正8年) 帰還

1920年大正9年)北部沿海州に派遣

(今でいうウラジオストックの北、縦長に日本海に面する広大な地方。)
1921年(大正10年)7月 - 帰還。

1932年(昭和7年満州事変参加
1939年(昭和14年)5月  ノモンハン事件に参加。
1940年(昭和15年)10月 帰還

1939年5月に第7師団編成担当で既に新設されていた樺太混成旅団に編入

1945年(昭和20年)
2月28日 - 樺太混成旅団は、歩兵第306連隊(第30警備隊改編)を加え、第88師団に改編。
8月15日 - 終戦
8月20日 - ソ連軍が真岡に上陸、攻撃されたため応戦する(樺太の戦い)
8月23日 - 停戦協定が成立、日本軍最後の戦闘を終える

ということで今回は軍盃。

戦前の日本では、兵役を終えて除隊するときに知人親類に兵隊盃と呼ばれる盃を配る習慣がありました。盃内に配った人の名前や配った理由、「戦勝」だとか、「除隊記念」とかが入っており、金文字を使用したり国旗などが描かれています。明治初期からすでにあり、日露戦争満州事変の頃までの習慣で昭和恐慌以降は軍が除隊や帰還に際する祝賀を盛大に行わないよう指導したため作られなくなりました。日中戦争は日米開戦を経て第二次大戦の終戦まで続き祝賀ムードは全くありませんでしたから、この軍盃も意外と古いものかもしれません。
海で見つけると文字が消えてしまうんですよね。 小樽

除隊記念 清水 忠節 歩二五

 

 

 

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