樺太のオットセイ配合の酒 戦前の滋養酒「オットホル」のガラス瓶
今回のガラス瓶「オットセイ」のお酒「オットホル(OTTHOL)」です。
戦前、樺太海豹島(からふとかいひょうとう)ではオットセイの睾丸や陰茎を干したものが強壮剤として知られていたらしいです。
今と同じように戦前の人々も健康にはとても関心が強く、滋養に効くお酒といえば「養命酒」が有名ですが実はほかにもたくさんの滋養酒がありました。
浦部一次は、北海道で味噌や醤油を作る家に生まれました。(一説には屯田兵だったとの話もあります)樺太に渡り水産庁にオットセイの肉および内臓の払い下げを交渉、 1935(昭和10)年会社を立ち上げ、樺太豊原工場を設立。薬味酒「オットホル」を製造開始したのです。
薬味酒『オットホル』は、販売してすぐに大変な評判となり1938(昭和13)年には東京都渋谷区に営業所を開設、国内外で好評を博し養命酒に匹敵するほどの人気でした。
おそらく日米開戦直前の昭和15年までは順調だったと思われます。
終戦まで製造していたらしいですが、養命酒などは薬局などを販路として細々と売られていたらしいので同じだったとおもわれます。
1945(昭和20)年8月、太平洋戦争の終戦により、原料と工場があった樺太での利権を失い、製造中止となりました。
9年後の1954(昭和29)年オットセイを原料とした製品の製造販売を再開しました。今でもヴィタリス製薬という社名で存続しています。
戦前でも英語は右読み。拾った時は何て読むのかわからなかった。
「OTTHOL」最初は「LOHT TO」だと思って海外サイトを探してた。
綺麗な深い紫色のガラス瓶。ポケットボトルサイズ。
気泡や細かいくぼみがある。