北海道の片隅でコソっとつぶやく

いろんなところでひろったガラス瓶や陶器を紹介しています

極東練乳(のちの明治乳業)が手稲にあったころ(極東練乳の八角ガラス瓶)

 

明治乳業の一方のルーツである明治製糖は、1917年(大6)房総練乳に資本参加。

房総練乳は1920年(大9)東京菓子に合併、東京菓子1924年(大13)明治製菓

商号変更する。


他方、北海道の札幌練乳場と静岡の花島練乳場が合併し1917年「極東練乳」を設立。
軽川駅(現在の手稲駅)前付近に第一農場が設けられた。

 

しかし、極東練乳は不況で業績悪化。
そのため1935年(昭和10年)明治製菓が経営に参加。

戦時の統制強化の中で1940年(昭15)明治製菓は製乳部門を分離独立させ経営を極東練乳に委任、商号を明治乳業とした。

 

写真の瓶は極東練乳のエンボスがある八角ガラス瓶。

文字は左読み。
ガラス瓶の品質は物資不足になった昭和15年頃から落ちるが、この瓶はそれより前のものであるため気泡もちょっと入ってはいるが、なかなかの一品。